ダイア施設長が幼いメノウを攫って薬物で記憶漂泊してから固定概念や思想を植え付けて育て、成長も健康も無視したメドゥラで命を削らせて、最終的に己が人を超越する為の器にした一連の悪行は、彼女から見れば海底古代人が運命の子供を選んで自分の力を継承させる行為とどこが違うのって感覚だし実際ルマリはマリナを己の都合で選別して後継になるために厳しく育てたから広義的には一緒になってしまうんだよね。マイティを選ぶ以外の道は幼いマリナに存在しなかったし。
そこを愛情の有無で片づけていいことなのか今一度考えなきゃいけない。冬映画はやっぱルマリの罪を暴く話でもあるのかもしれない。ダイア施設長は最初は純粋に海底古代人レムリアに憧れて彼らに夢を見た女なんだ、模倣だってする。
運命を選ぶ、言葉はいいけどダイア施設長にとってメノウはただの道具だし愛情は無かった……と思うけどこれ愛してるからこそって感じの方が怖くない?怖い。メノウのそれは閉ざされた思考での依存だろうけど、そこにはちゃんと親に対する愛はあるんだと思う。
ルマリは愛情を知って様々な罪悪感を抱えて死んだけど、マリナは父親と共に在れて幸せだったんだよな。これを虐待児の刷り込みみたいな思い込みだと私には否定できないから難しい。
親子関係って難しいな